「引き寄せの法則」などの宇宙の法則も仏教やインド哲学で説明されている

バガヴァッド・ギーター4章のはじめにクリシュナ神は「宇宙の始まりの際に太陽神ヴィヴァスヴァトにヨーガを教えたのは私だ」とアルジュナに伝えています。ここでアルジュナにはある疑問が浮かびますが、私もはじめてバガヴァッド・ギーターを読んだとき(というより聖典を学んだとき)同じような疑問が浮かびました。

バガヴァッド・ギーター4章4節
Arjuna said: Later on was Thy birth, and prior to it was the birth of Vivasvan(the Sun); how am I to understando that Thou taught this Yoga in the beginning?

アルジュナが(クリシュナ神に)尋ねました。御身の出生は後であり、太陽神ヴィヴァスヴァトの出生は前です。しかるに御身がその秘宝を最初に太陽神に伝授したことを、私はどのように理解したらよいのでしょうか?

まぁそうですよね。クリシュナ神は今の時代に生きていてアルジュナの目の前にいて、太陽神は宇宙の創成期の神様で「そんな存在にヨーガを教えたってどうゆうこと?」となるのは当たり前です。ラーマーヤナやマハーバーラタ(バガヴァッド・ギーター)などの叙事詩は、宇宙の真理について、様々なキャラクターを持った神様や人物を描き、たくさんの比喩表現をストーリーにしてわかりやすく説明したものです。現代においてスピリチュアルな分野の本に書かれているようなことのすべてが、インド叙事詩やヴェーダ聖典、仏教の経典において説明されています。

「引き寄せの法則」などの宇宙の法則も仏教やインド哲学で説明されている

例えば、私たちに馴染みのある「引き寄せの法則」などは、仏教の経典ダンマパーダ(法句経)の一番最初の詩節で説かれています。

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う」

つまり、私たちが心で感じたことが現実として作り出されるので、心を常に清浄に保たなければならない。と教えており、まさに引き寄せの法則で説明されていることです。

今の時代でいう「宇宙意識」や「高次元の存在」が神話の中に登場する神です。つまり神とは私たちが生きている3次元よりも高い5次元の存在です(4次元は私たちが死んだ時に訪れる幽界)。クリシュナ神は高次元の存在であり、地球に権化(アヴァタル)として現れています。

実際にクリシュナ神という、いつもバンスーリを吹いている青い肌をしたハンサムな神様がいるかが大事なのではなく、そういった特徴というのは高次元の存在やエネルギーをイメージしやすくビジュアル化しているのです。もちろん私たちの思考や心が現実を作るので、クリシュナ神も実際にいらっしゃるとは思いますけど。

サーンキャ理論を理解していないアルジュナ

さて、真我(アートマー)は肉体ではなく、肉体の基礎である魂で、魂は生まれることも死ぬこともない不滅の存在である、というサーンキャ理論をバガヴァッド・ギーター2章において、あれだけ説明されたにも関わらず、アルジュナにとって肉体は真実在であり真我そのもので「肉体の死=魂の死」という価値観は変わっていません。

相変わらず真我と肉体を混同し続けているアルジュナに、クリシュナ神は次の詩節で答えています

バガヴァッド・ギーター4章5節
The Blessed Lord said: Many births of Mine have passed as well as of thine, O Arjuna; I know them all but thou know not,O Parantapa(scorcher of foes).

聖なるクリシュナ神が告げられました。アルジュナよ。汝と我とは多くの生涯を経てきている。我はそのすべての生涯を憶えているが、汝は憶えていないのだ。

ここで、明らかにサーンキャ・ヨーガの真の意味を理解していないアルジュナに対し、同じサーンキャ理論を説いても無駄なのでクリシュナ神はアルジュナに理解できるレベルまで降りてこられています。

「なんども生まれ変わっていて、私にはそのすべての記憶があるけれど、きみは何も憶えていないんだよ」と伝えます。なぜこのようなシンプルな説明になったのでしょう?
それはサーンキャ・ヨーガを理解するということは「絶対的な一元論の哲学」つまりヴェーダンタ哲学が教える「絶対者ブラフマーという一つの実在原理のみを認め、それ以外の根本自性(プラクリティ)は真実在のものではない」ということを理解することです。

ここで述べられる根本自性(プラクリティ)とは肉体や、肉体の死やのことで、アルジュナは明らかに肉体の死を魂の死と混同していてサーンキャ理論を理解していません。

ものすごくシンプルにいうと、いつもの表現になってしまいますが「多くの人は私たちは肉体の存在で、その生死に心を奪われているけれど、私たちというのはそもそも肉体ではなく魂の存在で、魂とはつまり宇宙意識(ブラフマー)の一部で、私たちはブラフマーそのもの」ということだと思います。そしてそのことを知識として知るだけでなく、体感として、心で経験し、解脱へと到達するため(サーンキャ理論を)の方法として、カルマ・ヨーガやジナーナ・ヨーガやラージャ・ヨーガがあるのです。

 

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