他人軸ではなく自分軸で生きるためには

多くの場合、私たちの「行為」には結果に対する期待、つまり動機があります。

その行いによって経済的に豊かになる、美しくなる、人から褒められたり羨ましがられる、などなど。これらの行為への動機のほとんどは利己的なものであるといえるでしょう。

他人軸ではなく自分軸で生きるためには

経済的に豊かになることの目的とは何でしょうか。高級な車や腕時計を買ったり、最新のコレクションからコートやシューズを買うでしょうか?あるいは潤沢な資金を新しい投資に回すでしょうか?

美しい外見をもつことで得られることとは何でしょう。だれかからの評価や羨望の眼差しでしょうか?

行いには他者からの賞賛や感謝を期待する場合もあります。

「これを手にしたら羨ましがられるだろう、尊敬されるだろう」「褒められるに違いない」「感謝されるだろう!」

自分は特別な存在

多くの人が手にすることのできない「何か」を持ち、一握りの人にしかできない「こと」を行う目的は、自分を「特別な存在だと思われたい」という願望がベースになった欲望です。

こういった利己的な欲望は、価値を評価する他人があってこそ成り立つ「他人軸」であり、このような欲望には決して終わりはありません。なぜなら自分で自分に素晴らしい評価を与え、認めることができなければ私たちは本当の意味で自分を愛せませんし幸せにはなれないからです。

自分の評価を他人に委ねることに慣れすぎてしまった私たちは、自分自身をすっかり見失ない自分以外の「誰かが」あるいは物質的な「何かが」自分に価値を与え、幸せにしてくれる信じ、期待しています。

私たちは本来、ひとりひとりが満たされた完全な存在であり、それぞれの魂が宇宙意識ブラフマーの一部でありブラフマーそのものだということを知っていました。魂の存在である私のたちは、肉体を持ち、この物質世界に生まれました。限りのある、そして重力の影響をうける肉体の中に入らなれければ経験できないことを体験しにやってきました。

植え付けられた価値観

私たちは小さい頃、他者と自分を比較して自分自身の価値を測るようなことはしませんでした。物心がつき自我が芽生える頃に、私たちの魂のもつカルマの種も少しずつ育ち始め、カルマの影響を受けた人生が始まります。そして周囲の大人や地域や国家などの価値観が、日常生活や各メディア媒体によって意識の中に入ってくることで、それぞれの価値観が少しずつ形成されます。

この頃になると、クラスメイトの誰々は何を持っていて、それを持っていない自分はいかに恵まれていなくて惨めであるか、それが手に入ればどれだけ幸せになるか、という風に物質的なものが自分の幸せを支配する(影響を与える)と無意識に信じるようになり、本来の独創性を失っていきます。

テレビや新聞や雑誌など、メディア媒体の背景にいる大きな存在がどのような意図によって情報を提供しているかを理解する大人は少なく、そういった環境にいることで、子供達は純粋さゆえに大衆的な価値観とともに成長していきます。表面的な部分ばかり磨き飾り立てることで幸せが継続するのならそれで良いでしょう。しかしそういった一時的で表面的なものでは満足できず、もっともっと、と苦しみます。

必要な情報などほとんどない

メディアが報じる他所の国の何とかというプリンセスがどんなドレスを着たとか、誰々という女優が起こしたスキャンダルが私たちの人生や魂の成長にどれだけ役に立つというのでしょうか?そういった情報を本当に必要としている人は一体どこにいるのでしょうか?

発信される情報を無意識に受け取り、大切ではないものを大切だと錯覚し、本当に大切なことをどんどん見落としていきます。

そしてこのような環境にいることで、私たちは肉体が自分自身であると信じ、感覚器官を喜ばせる生き方に夢中になっていきます。

私たちの魂は、まそれぞれ全く異なった成長段階にあり魂レベルが高い人も低い人もいます。これは肉体の年齢とは一切関係がありません。10歳でも魂が成熟していて思慮深い発言や行動をする人もいますし、50歳を過ぎても享楽的な生き方をして周囲に迷惑をかける人もいます。

魂が持つカルマと気づき

それぞれの魂はそれぞれ異なったカルマをもっていて、この肉体に入る前からのカルマの影響を受けています。どんな人も平等に様々なタイミングで気づきがもたらされます。それは病気や大切な人を失うようなことであったり、生まれた場所や育った環境であったり様々ですが、そういった出来事によって自分の信じていた常識や価値観を見直し、それまでとは違った道へと進むきっかけを発見するかどうかです。

気づきはだれにでも起きていることですが、意識的でなければそれを見逃してしまうでしょう。

他人の評価なんてどうでもいい

自分の発言や行いを他者がどう思うか?人からどのように見られるか?ということを異様に気にする人がいます。

でもこれはそう思ってしまうその人が悪いわけでは決してありません。悪いのはそういう意識を植え付けた周囲の環境や社会です。もし自分に悪いところがあるとすれば、自分の価値観や物事を感じるセンスを他人に委ねてしまったことだけですが、それはいつからでも変えていけます。

人がどう思うか。人と自分を比較して自分を貶める。起きたことの結果によって自分を可哀想に(あるいは被害者だと)思う。

これら全ては他人を軸にした考え方で、これを手放さない限り、ずっと無力感を持ち続け苦しく思うことでしょう。

周りのことなんか気にせず好き放題しろといっているのではありません。まず、自分が好きなことを発見する努力をします。もし好きなことが解らなければ「これだけは絶対に嫌」ということを見つけ、それを徹底的に避けます。そして少しでも楽しいと思えることが見つかったら、なぜそれを楽しいと思えるのか、どういうところが好きなのか、その本質を見ていくことで方向性がはっきりするでしょう。

周囲の反応や目を気にせず、好きなことや自分が時間を忘れてしまうくらい夢中になることを行なっていくことで少しずつ「自分軸」へと修正することができます。

カルマ・ヨーガ

良いか悪いかという結果に執着することなく、すべての結果を手放した行いをすることがカルマ・ヨーガです。つまり「こんなにも尽くしてあげた」とか「こんなものをあげたんだから感謝されるだろう」という、行いの結果にこだわらないこと。

カルマ・ヨーガ(純粋な行為)によって感覚器官の働きを浄化し、自分自身の欲望をコントロールすること、そして私たちが魂の存在であり宇宙意識の一部であるという思いに集中すればするほど、自我意識が消滅していきます。

この自我意識を手放していく作業がカルマ・ヨーガであり、他者の価値観に振り回されず自分とより大きな存在との合一するための方法です。

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