劣等感や無価値観という感情はどこからやってくる?

劣等感や無価値観という感情はどこからやってくる?

私たちはなぜ、他者と自分自身を比較して落ち込んだり劣等感、あるいは優越感を感じるのでしょうか?

肉体を持ってこの物質世界を生きていくためには、自分自身の肉体を維持しコントロールしていく必要があります。

この肉体の維持というのは、食事によって栄養素を体内に取り入れ、安全で快適な場所で眠ることが大前提として含まれます。そして当然ですが食材を手に入れたりレストランで食事をするためにはお金が必要です。もちろん快適な住居を手に入れ維持するためにもお金はかかります。

本来の目的である、肉体維持にはそれほど多くのお金は必要でないのにも関わらず、なぜ私たちは「より多く」「より高級」なものを求めそういった物質に執着するのでしょう

バガヴァッド・ギーター3章25節
As the ignorant men act form attachment to action, O Bharata(Arjuna), so should the wise act without attachment, wishing the welfare of the world.

愚者が執着を原因として行為をするように、解脱をした者はこの世界にとって善きことを思うことを原因として、無執着なる行為を為すべきなのである。

聖典では、無知な人は成功や自分のための大きな利益のために一生懸命に行為すると教えています。では自分の成功のために一生懸命に行為をすることのどこが無知であるのでしょうか?

利己的と利他的な行いの違い

反対にカルマ・ヨーギーは、成功や金銭的利益といった利己的な目的ではなく、この世界をより良くするため無私の心で他のために行為をし、行為の結果(成功や失敗)にも影響されることはありません。

利己的な心によって行いをする人は、自分の得る利益が仲間や他人の損失から生まれているかもしれないということを考えません。自分の利益が何から生まれているかなど気にせず、利益や物質を手に入れると有頂天になり、手に入らなければ腹を立てます。

利己的な者は良い報酬があれば一所懸命に働くが、何も利益がなければ落胆して途中で努力をしなくなる。また、その行為に利益が伴わなければ、最初からその行為に手をつけない。ーシュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

私たちの世界には、他者を苦しめ、時間や労力やお金を搾取するといった暴利を喜ぶような人が多くいます。こういった利己的な人たちの多くは些細なことで興奮し(歓喜、怒り)、取るに足らないことで落ち込みます(消沈)。

競争原理を植え付けられた私たち

私たちが生きている現代社会は、利益と損失といった競争原理の上に築かれている、とスワミ・ヴィラジェシュワラ先生はおっしゃっています。私たちは子供時代、スポーツや学力テストなどによって、一方が勝利し、もう一方が敗北すること、順位によって優劣をつけられることを経験します。

勝った者は、褒められたり賞金や賞品を手にしますが、負けた者は批判され落胆を経験します。この様な二極に対立する感情が、あたかも生きていくうえで重要なことであるかのように心の中に浸透させられてきました。この対立感情をもって成長していくにつれ「勝つためにはなんでもする」「人を蹴落としてでも勝ち取る」というような人生哲学が作られてしまいます。しかし、このような利己的で攻撃的な哲学をもった人は、最後には耐え難く悲惨な境地に陥ることはこれまでの人類の歴史を見ると解ります。

こういったこれまでに浸み込んだ価値観によって、より多くの、そしてより高価なものを手にするのが勝者であり、目指すべき目標であると勘違いしてしまうのです。そしていつまでも何かが足りないと思い込み満足できないのです。

「人より多くのものやお金を持っていないから自分はだめな人間だ」「どんなことをしても勝者になれない自分には価値がない」という風に他者との比較を軸に自分の価値や、生きる目的を決めるのではなく、自分を軸にして生きることに気がつけば全ては変わっていきます。もし誰かと比較をしそうになったら、その思考をすぐさま手放し(無意味なことですから)比較対象を自分自身にするのです。

人の価値は家や持っているものや乗っている車や、育った環境や友達の数などでは測ることはできません。自分に価値を与えるのは他人ではなく私たち自身なのです。

スポーツ観戦をする人の2つのタイプ

スポーツを楽しむ人は、それが実際にプレーする場合も観戦する場合も含めて2種類のタイプに別けられると思います。

自己を投影しのめり込む感情タイプ

ひとつめのタイプは贔屓のチームやプレーヤーに自分自身を投影させ感情移入するタイプの人。こういった人は勝ち負けという結果に強く執着し、贔屓のチームが負けてしまうと怒り、感情的な言葉を叫びます。ゲーム中も口角泡を飛ばし対戦相手をなじり、ミスをすれば味方チームですら大声で批判します。

これはアドレナリンによって興奮することの虜になった状態で、まったく自分自身の心の統制ができていません。もちろん勝負の結果によっては一日中不機嫌になって周りの人にあたったり、あるいは浮かれて無駄遣いしたりなど外の世界の出来事に対し常に心が影響されます。

戦略や流れを見通すクリシュナ神タイプ

もうひとつのタイプは、プレーヤーの技術面の高さ、洗練された戦略、プロフェッショナルな体の使い方を芸術作品を楽しむように観戦する人。試合の流れや選手の動きを少し高い次元から俯瞰しながら観察し、繰り広げられている最前線(ボールの行方)にだけ心を奪われるようなことはありません。将棋やチェスのように、目の前のことだけでなく、進んでいくであろう方向を見抜く力が必要とされる知的作業を楽しみます。

こういった人は出来事のなかに感情的に入り込むことはなく常に冷静なので、勝ち負けという結果に無駄に影響されることはありません。応援している選手やチームが負ければ「残念だな」とは思うかもしれませんが、誰かに怒りをぶつけたり、あるいは喜びすぎて川に飛び込んだりすることもないでしょう。

比較すべきは常に自分自身

勝負の世界に身を置くトップアスリートは、体や技術をそのレベルまで仕上げた芸術家であり戦士です。彼らが戦っているのは、対戦相手ではなく自分自身です。結果に執着し「人を蹴落としてでも勝ちたい」という精神では、世界のトップのステージで通用することはありません。これはスポーツに限らず、人生でもヨーガの練習でもビジネスでも人間関係においてもえることではないかと思います。

賢いカルマ・ヨーガ行者は利己的な利己的な者と競争するかのように一生懸命に行為する。その姿を俗世の第三者から見ると、あるいは利己的に見えるかもしれないが、カルマ・ヨーガ行者と利己的な者との間にはその考え方において非常に大きな違いがある。
カルマ・ヨーガ行者は無私の心で他のために働き、行為の報酬に心を動かされることもなく成功や失敗にも影響されないのである。

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