心の障害となる5つの苦悩 Ⅱ

心の障害となる5つの苦悩 Ⅱ

今回は心の障害となる5つの苦悩①で紹介したアヴィッディヤー(無知)であることが原因となる4つのクレーシャ(苦悩)であるアスミターについて勉強していきます。

アスミター(自我/高すぎる自意識)

アスミターは自我、つまりエゴです。私たちも日常的に「あの人はエゴが強い」などという使い方をするように、とても身近なテーマだではないでしょうか。

「心、身体、感覚、考え」は私たちがこの世界を経験するため、そして経験を通して学び魂を成長させるために神様から借りた「道具」であるとヨガではいわれています。それぞれが持つ身体的な特徴や能力、体力や記憶力といった本来「道具」として備わっているものを自分自身の本質だと思い込み、身体や記憶力の限界を「本当の自分の限界」だと混同(錯覚)してしまうことで、心は乱れ不安を感じます。不安を感じることで、他者と自分を比較し、他者にあって自分にはないものなどをわざわざ見つけコンプレックスを作り上げ心を苦悩させます。

「私」を主体にした思考に支配されると

アートマーである自分の本質と、本来「道具」である心を同一視することで「私」という考えという自我意識が生まれると「私が、私が」「私はこうは思わない」「私だったらこうする」と常に「私」を主体とした思考や行動や発言に支配されていきます。

この自己の本質と心を同一視した状態を、ひとつの例を出して説明したいと思います。
私が住んでいるアパートメントの上階に南米出身の50代くらいの女性が住んでいるのですが、仮にその方とAさんとします。このAさんは初めて挨拶をした時から、隣の住人に対する悪口や建物を管理している会社への不満を初対面の私に勢いよくぶちまけるような女性でした。

感情を自分自身だと認識することによる混乱

私が入居するまでに終わるはずだったキッチンの修繕が遅れてしまい、引越しの翌朝に業者さんが来て作業をしてくださったのですが、壁にドリルを使い出した数分後にドアをノックする音が聞こえました。

扉を開けるとパジャマ姿のままのAさんが立っており、業者さんに対し「私の朝の時間を台無しにするような騒音を」「私は昨日遅くまで起きていて朝はゆっくりしたいのに」と取り乱しています。

もちろんゆっくり静かな朝を過ごす権利も取り乱し苦情をいう権利もAさんにはあります。9時を過ぎていたのでそれ程の早朝ではありませんし、業者さんはただ彼らの仕事しているだけなのであまり相手にしないというか、ほとんど取り合わないものですからAさんはますます興奮してしまい「『私の』時間」「『私の』静けさ」と大騒ぎしている姿を見て申し訳なく思い「引越ししたばかりで色々うるさくしてごめんなさい」と言いましたが、「あなたは悪くないのよ」と業者さんに向かって声を張り上げ続けていました。とにかく不平や自分の主張をしなければ気が済まないのだと思います。

また別の日、Aさんがテラスの植木に水を遣っていたのですが、桟に鉢を引っ掛けるタイプのものなので水を遣ると階下に垂れてしまいます。私が住んでいるアパートメントはテラス側が複雑な作りをしていて真下にある私のテラスではなく、水は1階の方のテラスに落ちてしまうのです。

階下にはインド人の夫婦が暮らしているのですが、ここのご主人もうるさいタイプなので、Aさんに「お宅の植木の水がうちに垂れている」とすぐさま叫んでいます。するとAさんは「『私の』植木には水が必要だからしょうがないじゃない」「ただの水だから大丈夫」と返し、決して謝ろうとはしません。それどころかAさんは「たかが水なのに大騒ぎしてバカみたい」「花が枯れてもいいとでも?」というようなことを大声で室内にいるらしきご主人にむかってわめき散らしています。

自己との不調和による混乱

「私の」朝の時間や「私の」花といった自分の都合ばかりを主張し、自分以外の人の都合はお構いなしです。このAさんはいつ会っても機嫌が良くてハイな状態か、何かに対して腹を立てているかのどちらかで、基本的にあまり周りが見えていません。周りが見えていない状態で真実の自己を知ることは非常に難しいでしょう。エゴによって心を乱されていると、ヴルッティの性質はラジャス(激しく揺れ動いている状態)やタマス(不活発でタマスな状態)になり、自分自身と調和した静寂な状態でいることは難しいでしょう。

どんな思考や行動をしようとそれはその人のカルマなので、本人が自分の経験を通し気づきを得て、在り方を改善するより方法はありませんが、苦悩の原因であるクレーシャによって心を曇らせヴルッティを忙しくさせていると怒りや不満といった感情によって大切な学びのチャンスを見逃してしまいます。そうなってしまわないために、心に浮かぶ自分の思考に注意を払い、必要でない思考やこだわりを手放し心をニローダ(ケア)していきます。

アヴィッディヤー(無知)がすべてのはじまり

まず真実の自己、つまり自分の本質を知らないという「無知」から我想(アスミター/エゴイズム)が現れます。心に現れた強い自意識によって「私の」土地、「私の」意見、といった私的なものへの執着(ラーガ)が生まれ、執着しているものを奪われたり「欲しい欲しい」と執着し切望しているものが手に入らないと、その状況であったり奪おうとする誰かに対してドゥヴェーシャ(憎悪/嫌悪)の苦しみが生まれます。そして最終的に「自分のもの」であると思い込んでいる物質や肉体や生命に執着し死を恐れます(アビニヴェーシャ)。

今回は自我/強すぎる自意識であるアスミターについて取り上げました。続くパンチャ・クレーシャの回でこの後に顕れるラーガ、ドゥヴェーシャ、アビニヴェーシャについて一緒に勉強していきたいと思います。

 

オンライン寺子屋ヨガ

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