悟りへと向かう段階と穏やかな心と知性

悟りへと向かう段階と穏やかな心と知性

「なんのためにヨガを練習するの?」「ヨガをするとどうなるの?」「体が硬いんだけどヨガできる?」

ヨガを教える仕事をしていると、生徒さんでからではなくヨガをなさっていない方からのこういった質問(のようなもの)をされることが本当によくあります。

パタンジャリ先生はヨーガスートラの中で「ヨガのゴールはサマーディである」と教えています。
ではサマーディとは一体何なのでしょうか?

サマーディはひとつではない

ヨーガスートラでは、自分を見極める四段階の瞑想、サンプラニャータ・サマーディ、その後にサンプラッニャータ・サマーディ、アサンプラッニャータ・サマーディ、サビージャ・サマーディ、を得て苦悩の原因から自由になる境地であるニルビージャ・サマーディと呼ばれる、努力なく深い真実に至ることのできる状態になり、このサマーディの最終的な境地であるニルビージャ・サマーディのことを、一般的に「悟りを得た」というのだと思います。

思いますというのは私がこのサマーディのどの段階にも達していないので想像するしかないのですが、残念ながらどんな状態なのか想像すらできません。

このように一口にサマーディといっても、いくつものステージに分けられています

このサマーディ、悟りにいたるために私たちは肉体を持ち、「道具」である肉体を使って世界を経験することで精神を成長させ魂を磨いています。このあまりにも果てしないゴールに、ひとつの人生で到達することはほとんど不可能なので私たちは輪廻転生を繰り返し、いくつもの人生で違う身体、性別、人種、として生まれ、その与えられた身体と環境によって人生の経験を増やし自らを成長させます。

奇妙な例えですが、ガンダムやマジンガーZのような(?)大きなロボットの中の小さな操縦席で操作しているのをイメージしてみてもらうと解りやすいかもしれません。操縦されている大きなロボットが私たちの肉体で、操縦席にいるのが私たちの魂。そして魂は永遠ですが、ロボットはダメージを受けたり壊れることもあります。これが寿命であり私たちは時がくれば新しいロボットに乗り換えなくてはなりません。つまり魂は肉体を取り合えながら何度も転生します。この取り替えるプロセスが「生まれ変わり」ではないかと思います。

サマーディに導くのは知性

「静かで澄んだ知性(ブッディ)が、私たちに真実を理解させ、悟らせてくれます。私たちの知性に深い理解が起きることが、悟りといえるでしょう。」ー「ヨーガ・スートラ」向井田みお先生著

ヨガの目標は内なる静けさにとどまることで、どのような状況にあっても感情に左右されることなく絶えず穏やかで安定している状態。サマーディとはヨガの練習や瞑想をしたときに「瞬間的」に感じる経験ではなく、どのような状態にあって常に穏やかな心、冷静な知性と共にあり続けることです。

穏やかな心と知性を得るための練習とは

安定した冷静な心の状態、落ち着きと穏やかさを得るために私たちに出来ることは、日頃から自分の「思考・行い・発言」に意識的になり、常に心を観察する練習をすること。日頃から自己を見つめる努力を心がけ、毎日を丁寧に過ごすことが大切なのではないかと思います。
自己を見失ったかのような感情的な振る舞い、自分や周囲の存在を傷つけたり貶めるようなや発言を避け、他人と世界と調和する生き方が出来るように心を整えます。

仏教に説明される三毒とは

仏教の最古の経典といわれる「スッパニパータ」の中では、人間の苦しみの根元は三毒によってもたらされると説かれています。
貪・瞋・癡(とん・しん・ち)と呼ばれるこの三毒、つまり最も根本的な煩悩によって私たちの心は苦しみ激しく動き続けると説明されています。この貪(とん)は貪欲さ、貪りを意味し、瞋(しん)は怒りや憎しみを持つことです。最後の癡(ち)は愚痴であり、つまり真実を知らない無知であるとされています。

この三毒をサンスクリット語にすると、貪(ラーガ)・瞋(ドヴェーシャ)・癡(モハ)となります。

同じようにヨガでも心に障害をもたらす原因をパンチャ・クレーシャ(心の5つの苦悩)として説かれており、この5つのクレーシャ(苦しみ/障害)が私たちの心を捉え苦しめ、ヨガの練習と瞑想の妨げになると教えています。

パンチャ・クレーシャについてはまた別のところで詳しく説明していきますが、今回はその5つの名称を紹介していきます。

 パンチャ・クレーシャ

・アヴィッディヤー/無知、真実を知らない
・アスミター/エゴ、強すぎる自意識
・ラーガ/強い欲望
・ドヴェーシャ/激しい憎しみ、嫌悪
・アヴィニヴェーシャハ/死ぬことへの恐怖

三毒の貪・瞋・癡と同じ教えがパンチャ・クレーシャの中でも説かれています。おそらく「癡/モハ」がパンチャ・クレーシャのアヴィッディアになるのだとおもうのですが、これは確かではありません。

生き方をヨガにする

さて私たちは、マットの上でヨガの練習をしている時だけではなくどこにいても穏やかで安定した心でいたいと思っています。澄んだ知性と心でいるために、この心を乱す障害や苦悩の原因を避けなければなりません。

もちろん、全ての苦しみの原因から解放されたすっきりした心の状態に唐突にトランジションすることはできませんから、ひとつひとつの原因に注意深くなり、意識して避ける練習から始める必要があります。

カルマヨガとは行いのヨガという意味ですが、向井田みお先生がヨガスートラのなかで「生き方をヨガにする」と解説されているのですが、私は個人的にこの表現にとても愛着を感じています。まず自分自身の思考を注意深く観察し、正しい行動や発言へと変えていくことがカルマヨガの最初のステップだと思います。

他者に対し優しさと思いやりのある発言や行いをすることで、周囲には優しく穏やかな人たちが集まってくるようになります。自分の発するバイブレーションに共鳴する人が周りに増えてくることは自然界の法則なので、徐々にそういった良い人たちで構成される人間関係になることは自然なことです。

まとめ

ヨガをする目的であるサマーディとはどの様な外的な要因の影響も受けず、常に幸福で満たされた状態にあることではないかと想像しています。そしてその境地に至るために知恵によって無知を拭い、心の状態を整え自分自身と周囲の人々との調和を築くことが大切だとヨガは教えてくれます。

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