二極に対立する感情の影響を受けないバランスのとれた心

二極に対立する感情の影響を受けないバランスのとれた心

バガヴァッド・ギーター2章48節
Perform action, O Arjuna, being steadfast in Yoga, abandoning attachment and balanced in success and failure. Evenness of mind is called Yoga.

アルジュナよ。執着を捨て成功と不成功とを平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為を為せ。ヨーガは平等の境地(サマトヴァ)であると言われているのだ。

この詩節では、ヨーガを基本軸にして生きるということは、二極に対立する感情に影響を受けないバランスのとれた心を持つことであると定義されています。

二極に対立する感情というのは、好きと嫌い/成功と失敗/幸せと不幸せ/正解と不正解などの、正反対の性質をもつ感情のことであり、この感情に支配されることが苦しみの原因になると説かれています。

他者に対して、好き嫌いの感情は自然と生まれてきますが、その人の発言や行いに「こんなことをしてくれたから好き」「「こんなことを言われたから嫌い」」と、いちいち心を乱していると忙しくてしょうがありませんし、何より疲れてしまいます。

自分以外の人の発言や行動や感情をコントロールすることはできません。どれほど近い関係であっても相手の行動や習慣を変えようと努力するのは全くの無駄な行為でしかありません。他者がどのような態度で私たちに関わってくるか、どのような態度で人生を生きるかは私たちの課題ではなく、本人の課題でありカルマです。

成功や失敗というのは、個人の判断基準によって大きく変わるでしょう。借金などがなく毎月決まったお給料を頂いていることを成功と思う人もいますし、莫大な資産があるにも関わらず、投資で小額のお金を失うことを失敗と思う人もいます。実態がなく、捉え方によってどうとでも変化することに一喜一憂する習慣を続けていると、心は感情に支配されてしまいます。

こういった「二極に対立する感情の影響から自由になる」というのは、感覚器官を働かせなくすることでも、心を硬直させ無感動状態になることではありません。

ー 心を硬直化させ無感動にさせることは自己を防衛するための行為であって、真理を知らない人間のすることである。シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

硬直化というのは無感情になってすべての物事をシャットアウトすることで、このような反応を本当の意味で解放や自由とは呼べないでしょう。そこには恐怖や嫌悪という否定的なブロックがあり、その感情に囚われているからです。真理を学び自己を知ることは、この否定的な執着から自分の心を解放する大きな助けになるでしょう。

心のバランスを取り、反対に対立する感情の影響を受けないということは、すべてのものが真我であることを悟っている状態だとシュリー・スワミジは説明しています。私たちの心が真我のなかにある時というのは、3つの性質(トリ・グナ)のバランスが保っていて、その結果、成功も失敗も同一のものと考えることができ、このような心の状態では動揺も起きないのです。

心が真我のなかにあることがヨーガ

では「心が真我のなかにある」というのはどのような状態のことなのでしょうか?

真我とは魂であり、つまりアートマーでブラフマーです。私たちは魂の存在なので、自分自身の真実とは、すべての場所に普遍的に存在する宇宙意識そのものということだと思います。そのような普遍的で永遠の存在とつながっている状態の時というのは、心の性質は完全にバランスが取れていて、心にあるすべての障害を克服しています。

スピリチュアルな言い方をすると「ハイヤーセルフとつながる」という表現になると思いますが、大いなる宇宙意識とつながる状態というのは自分と他者、あるいはすべての存在とを分けて考えることはありません。

すべて一つであり、すべてに自分が存在し、すべてにすべてが存在しているONENESSの状態であり、この心境こそが「ヨーガ」と呼ばれています。

クリシュナ神はこのヨーガを平等の境地と定義しています。これはパタンジャリ先生がヨーガ・スートラのなかで「心の働きを死滅させることがヨーガである(ヨーガ・スートラ1章2節)」と述べられていることに一致しています。

人間の心は決して休まない

私たちは意識的にせよ無意識的にせよ、休むことなく思考し心を働かせています。

過去に起きたことを悔やんだり(例えば昔の自分が取った行動や発言を悔やんだり恥ずかしく思い出す)、現在進行しているプロジェクトのことや生活について考えたり、将来を想像し、ワクワクしたり不安になったり。思考は常に多忙で、心も思考する内容によって揺れ動いています。

「何も考えてない」は普通の人にはありえないこと

こういう会話したことはありませんか
「今何考えてるの?」「ん?何も考えてないよ」

こういったなにげない会話において使われる「何も考えてない」というのはもちろん「特定の何かについては考えていない」のであって、思考はつねに意識のなかにあり、心は対象物を見つけ常に動いています。

心を空にし、物事の結果について何も考えないようにすることがヨーガの目的のひとつです。そして「何も考えてない」心の状態でいること、つまり心をコントロールすることはこの世でもっとも難しい課題だといえます。

練習を繰り返しの修練(アッヴィヤーサー)によって、好き嫌いや幸せや不幸せという対立する感情に支配されず、すべての結果や物事を平等(同一)にみていくサマトヴァ(平等の境地)を目指すことがヨーガであることを、今回勉強したバガヴァッド・ギーター2章48節では説かれています。

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