感覚器官の欲望に終わりはない

私たちは感覚器官の働きに支配され、それらを満足させることに時間を自分自身を費やすことによって智慧(プラジナ)を奪われてしまうとバガヴァッド・ギーターでは述べられています。今回は感覚器官に支配されるとはどういうことかについて勉強していきたいと思います。

感覚器官の欲望に終わりはない

バガヴァッド・ギーター2章55節
The Blessed Lord said: When a man completely casts off, O Arjuna, all the desires of the mind and is satisfied in the Self by the Self, then is he said to be one of steady wisdom.

クリシュナ神が告げられました。アルジュナよ。心の中にある全ての欲望を捨て、真我が(外界の何ものにも依存せず)自分自身においてのみ満足する時、その人物は不動の智慧が確立した人物(スティタプラジナ)と呼ばれるのである。

コントロールされていない心は休みことなく動き続け気分は常に浮き沈みします。私たちの感覚器官は常に外へと向かっているので

「こんなことがあって嬉しい」「こんなことをされて傷ついた」「あんな言い方腹が立つ」「あの人なんかムカつく」

外の世界や他者との関わりによってこういった感情が出てくるのは当然といえば当然です。

また思考も同じように「ああでもない、こうでもない」「あの時こうだったら、こうしていれば」と、一つの考えから他の考えへと移り変わります。

感覚器官を満たすことに夢中になっていると真理の探求はできない

私たちが5つの知覚器官(感覚器官)を満足させるために多くのエネルギーや時間を費やしてしまうのは、それぞれの感覚器官、つまり目は美しい物や景色を、耳は楽しい音楽を、舌は特別な味わいを、鼻は好ましい香りを、皮膚は柔らかく心地よい肌触りを求めるがままにさせているからです。

心は、終わることなく次々に感覚器官を満足させる新しい対象物を探して忙しく飛び回りますが、この状態では心の平安を得ることはできませんし「自分とは何であるか、真我とはなにか」という真理への探求ももちろんできないでしょう。

眠りによって心はようやく解放される

悟りの境地に達していない一般的な私たちは(シュリー・スワミジは“世俗的な者”と表現されていますが・・)、眠っている時にだけ、意識と感覚器官が連絡を断つことで心が休息を得ることができます。私たちは睡眠によって心を休息することが出来なければ、心は感覚器官に支配され気が狂ってしまうでしょう。睡眠の質を高めることは体だけではなく心の休息にとっても非常に重要なことです。

悟りに到達した聖者や賢者は、いつでも眠っている時と同じように意思と感覚器官との連絡を断ち、平静でいられます。

平静さとは、いかなる状況においてもすべてを同じ様に眺め、同じように感じる意識状態のことである。

つまり、二極に対立する、喜びと悲しみ、苦痛と快楽という心のバランスを取り、それらを超越した意識状態がサマーディだと教えています。

バガヴァッド・ギーター2章66節
There is no knowledge of the Self to the unsteady and to the unsteady no meditation is possible, and to the unmeditative there can be no peace, and to the man who has no peace, how can there be happiness?

制感し得ない者は信仰についての理解力がなく、静慮(バーヴァナー)を施す能力がない。静慮を施し得ない者には寂静(シャンティ)はない。心が寂静でない者にどうして幸福(スカ)があろうか。

幸福(スカ/スッカ)は心の静寂によってもたらされる

大部分の人間は自分の人生に対し、目的をもっていないことをシュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生は指摘されています。

目的があったとしても、多くの場合、経済的な豊かさや権力や地位にまつわる野心であり利己的なものです。しかし私たちは幸せや安心を求め、苦痛や恐怖を避ける本能があり、豊かさによる安心と幸福を求めるのは当然のことです。

しかし、心では調和や平和を求めながらもつい物質的な価値観に翻弄され、感覚器官の欲望を満足させることに多くの時間を費やすことで、幸福に必要な豊かさのバランスを失ってしまいます。

欲望には終わりがありません。なにか新しいものを手に入れて満足したら次、また次、と果てしなく続く欲望に心を奪われている状態では心は休まらず、幸福とは何かを見失ってしまいます。

感覚器官の働きをコントロールし行為をする

ファッションやコスメティック業界は、毎シーズン新しいコレクションやキャンペーンを展開し、広告などのヴィジュアルイメージを私たちの前に打ち出してきます。そして私たちは「これを使えば今までより美しくなれる」「これを着た私はどんなに素敵だろう」「こんなものを手に入れられたらどんな気分だろう」と想像することに心を忙しくさせます。

そして、欲しいものを手に入れられたら大喜びし、しばらくの間は満たされた気分で過ごします。しかし、物質社会は私たちをそっとしてはくれません。次々に新しい商品を様々な媒体を通じて私たちにアピールします。

そうなると、手に入れて満足していたものは新鮮さを失い日常の一部となり、新しく自分を満足させてくれる対象物へと向かいます。

これらはすべて、自分自身の本質を肉体やこれらの感覚器官の働きと勘違いし、肉体や感覚器官が満足すれば自分が幸せであると思い込むことが原因です。

自分の感覚器官の働きをコントロールできない者は何事にも満足できず、賭博やアルコールや麻薬のような致命的な悪癖の餌食となり、その身を滅ぼすのである。ー シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

私たちがこの物質的世界において調和の境地にたどり着くためには、自己の欲望をしっかりと見極め、そのパターンを乗り越えていかなければなりません。人生に目的(目標)を持ち、自分だけのためだけではない行い(利他のカルマ)を積むことが修練になります。そして真我の中に自己を確立した人は、感覚器官の働きをしっかりとコントロールし行為します。

次回は、外へと向かう意識をどのように静めるかをバガヴァッド・ギーター2章68節を参考に勉強していきたいと思います。

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