無知という束縛からの解放/サーンキャ・ヨーガとカルマ・ヨーガの違いとは

無知という束縛からの解放/サーンキャ・ヨーガとカルマ・ヨーガの違いとは

今回は、サーンキャ・ヨーガ(行為の放棄を伴う智慧のヨーガ)とカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)の違いとはなにか?をテーマにしていこうと思います。

バガヴァッド・ギーター5章は「行為の放棄」についての章で、主にカルマ・ヨーガとサーンキャ・ヨーガを対比しそれぞれの特性について詳しく説明しています。

バガヴァッド・ギーター5章4節
Children, not the wise, speak of knowledge and the Yoga of action or the performance of action as though they are distinct and different; he who is truly established in one obtains the fruits of both.

愚者は行為の放棄を伴う智慧たるサーンキャ・ヨーガとカルマ・ヨーガとは別物だと説くが、賢者はそうは言わない。そのどちらか一方をしっかりと行ずる者は、両者の結果を得るのだ。

結論からいうと、行為のヨーガと行為の放棄のヨーガには違いはなく、同じゴールへと進み同じ結果を得るそれぞれに優れた手段であることを説いています。ただ方法が違うだけでどちらも同じ特性を持っているということです。

サーンキャ・ヨーギーのライフスタイルとは?

出家遊行者は宗教の戒律を守って生きています。その戒律とはすべての執着と欲望を捨て(つまり家族や家庭やすべての財産を捨て)、黄色の衣を着て人里離れたところで精神を集中させ静慮し、聖典を学ぶことです。わずかな持ち物は、小さな布切れと托鉢用の椀で、手には杖を持っていてもいいそうです。

出家遊行者は運命の赴くままに放浪し、何か手に入ればそれを食べ、雨風をしのげる場所があればそこで寝るのです。

カルマ・ヨーギーのライフスタイルとは?

カルマ・ヨーギーは何も捨てず、友人や家族と共に生活し、欲望をもった普通の人のように働き、家族と共に喜びや苦しみを経験しますが、精神的には彼らの影響を全く受けません。

これらを別の道と捉えるのは愚かなこと

多くの無智な人は、この2つのヨーガの道を別のものとして捉え、さらに、より困難な道に思えるすべてを捨てた出家遊行者こそが真実のヨーギーであると錯覚します。

しかし、カルマ・ヨーギーもサーンキャ・ヨーギーも、「苦しみの原因となる二元性」からの影響に対し感情を乱さずに超然としている、という底に隠された哲学は同一のものなのです。

どちらか一方の道の修行に優れている者は両者の道の結果を得るのである。このように二つの道は異なってはおらず、同じ終点に到達する。即ち一元なる絶対者ブラーフマンを悟るのである。ーシュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

何れにしても、確固たる精神力が必要で、どちらの道にあっても誠実に歩んでいかなければ成功することはなく、せいぜい偽善者で終わるだけとシュリー・スワミジは辛辣におっしゃっています。

バガヴァッド・ギーター5章5節
That place which is reached by the Sankhyas or the Jnanis is reached by the Yogis(Karma yogis). He sees, who sees knowledge and the performance of action(Karma yoga)as one.

サーンキャ・ヨーガによって達した境地は、カルマ・ヨーガによっても達せられる。サーンキャ・ヨーガとカルマ・ヨーガとを同一に見る者は真に見ているのである。

それぞれのマインド

さて、アルジュナはサーンキャ・ヨーガにより惹かれています。なぜなら彼はクシャトリヤとしての役割をふくめ、すべてを放棄し出家遊行者になりたいと考えているからです。

サーンキャ・ヨーギーのマインドとは?

サーンキャ・ヨーギーは感覚器官の対象物を捨て、自分自身と対象物との関係を断つことによって、執着を克服しようと努めます。そういった理由で彼らは家族や物質的財産を捨てるのです。

カルマ・ヨーギーのマインドとは?

一方でカルマ・ヨーギーは自分の家や家族、その他すべての所有物をブラフマー(宇宙意識)のものであると考えます。そしてブラフマーのために働き、その結果が良かろうと悪かろうと執着することなく、結果を丸ごと絶対者ブラフマーに捧げます。

真のサーンキャ・ヨーギーとカルマ・ヨーギーの間に相違はなく、同じものにそれぞれ別の名前がついているに過ぎないとシュリー・スワミジはおっしゃいます。

ヨーガとは?/まとめ

ヨーガとは根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念(妄想)を智慧によって取り去り、心の動きを死滅させ究極の意識状態へと到達するためのものです。

そして、行為の放棄とは、すべてに偏在する絶対者ブラフマーをみるために二元性の存在を否定し、心のすべての働きを放棄することです。そしてカルマ・ヨーガはすべてのものをブラフマーだとみなし、すべてをブラフマーに捧げるように努めることです。

どちらの道も唯一の存在である、絶対者ブラフマーがすべての場所に偏在しているということを悟り、最高の意識状態という同じゴールに目指しています

心の動きが死滅する=思考停止ではない

心のすべての働きを死滅させるというのは、何も感じずぼーっとした抜け殻のような状態を意味しているわけではありません。

むしろ完全に冴え渡りすべてを見通す状態のことです。しかしそれは感覚器官を通し心によって感じ取っているのではなく、宇宙意識とつながったアートマー(高次元の意識、あるいはハイヤーセルフなど)、つまり魂の意識として、現実世界を見渡しているのであり、この状態は二元論(幸/不幸,善/悪,男/女,成功/失敗)によってもたらされる二極に分離した結果に一切の影響を受けません

つまり「悟り」の状態です

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