目の前に起きている物事と感情を超越するカルマ・ヨーガ

目の前に起きている物事と感情を超越するカルマ・ヨーガ

人生において、自分が進んでいきたい道、到達したいゴールに向かって努力しなければならない時というのは誰にでもあると思います。私の場合はヨーガの聖典を朝の新鮮な脳の状態で勉強すること、瞑想すること、ヨーガについての書き物の仕事をする、そして仕事が終わった後にざっと掃除をしてアサナの練習、新しいプロジェクトに関する勉強という地味なルーティンをじわじわと継続すること。

これらが私の朝の習慣でありやるべきことなのですが、途中でスマートフォンを手に取ったり、ネットサーフィンを始めたりしてしまうと集中力が途切れ、心が一つの対象物から、目新しい他の対象物へと移ってしまいます。

動き続けるのが心の性質

では「あれも、これも、それも・・」と外の世界のあらゆる対象物に対し、心が彷徨う習慣から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか?

バガヴァッド・ギーター2章41節
Here, O joy of the Kurus, there is but a single one- pointed determination; many-branched and endless are the thoughts of the irresolute.

アルジュナよ。このヨーガの道をたどる時、決断をその性質とする理智(ブッディ)は唯一の対象物に対して働いている。しかし、いかなる宗教的な決断をも為していない者たちにあっては、その理智の働きは集中せず、とめどもなく拡散しているのだ。

心が対象物に対してふらふらと彷徨う習慣から抜け出すためには「固く決意したうえでの努力が必要である」とこの施設では説明されています。私は最初「え?まさかの根性論?」と戸惑いましたがこれにはちゃんと理由があります。

心をひとつの対象物に固定する

私たちの心が彷徨う習慣は長年の欲望が蓄積され、その欲望を実現するために、移ろい続ける物質社会のなかで心を動くままにさせてきたことでもたらされた結果です。何事であっても、心がふわふわと別の対象物に向かっている状態では、物事を明晰に考えることや、目的に対して能率的なアプローチができなくなります。

どの様な人生の暮らし方においても、それが科学者としての暮らし方、聖職者としての暮らし方であっても、その人生を完成させることを望む者は心を一つの事柄に集中させなければならない。ー シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

欲望が私たちの心の動きを忙しくさせる原因ですから、“人生を完成させる”ためには行いに対する利己的な動機を捨てなければならない、とシュリー・スワミジは説明します。

バガヴァッド・ギーター2章47節
Thy right to work only, but never with its fruits; let not the fruits of action be the motive, not let thy attachment be to inaction.

汝の能力は行為することだけにあり、行為の結果を要求することにはない。したがって、行為の結果を動機として行為してはならない。同時に無為に捉われてもならない。

この詩節では、カルマ・ヨーガの根本理念が説かれています。つまり、しなければならない行為に完全にその身を捧げ、そして行為からもたらされる結果には執着しないことこそがカルマ・ヨーガである、と説いています。

私たちは行いと同時に結果を期待してしまいます。このカルマ・ヨーガに関して一般的な疑問が「なぜ、良い結果を期待してはいけないの?結果に期待しなくていいなら適当に仕事をしていいって事?」

3つの心の性質(トリ・グナ)

どんなことであっても、ある種の欲望がなければ仕事や行動につながっていかないのは事実です。大切なのはその行動のもととなる欲望がどういった性質(グナ)のものであるかということ。3種類の性質(グナ)とは、善性(サットヴァ)、動性(ラジャス)、鈍性(タマス)です。

オンライン寺子屋ヨガ

目次 1 ヨガ的な心のケア2 ヴルッティの3つの性質3 愚痴や悪口によって無駄な消耗を避ける4 心をケアし、時間や生活習…

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善性の特性は清浄さと誠実さが輝いていることであり、動性の特性は活動と欲望、鈍性の特性は怠惰と惰性となります。

純粋な欲求と結果を手放すこと

純粋な欲望というのは自らの成長となる学びを得たい、そしてそのための修練をしたいという欲求であり、言い替えればそれらは魂と波動を高める欲求です。そしてカルマ・ヨーガの理念は、しなければならない行為に完全に身を捧げることとされていて、これはつまり行為(仕事や課題)を適当にするというのとは全く違います。

一般的な人とカルマ・ヨーギーとのの違いは、前者は良い結果(成功)にたいし大喜びし、うまくいかなければ(失敗)落ち込みますが、カルマ・ヨーギーはそういった結果の影響を全く受けません。

シュリー・スワミジが「すべてに中庸であることは黄金律なのである」と説いているように、カルマ・ヨーガの目的は、どんな場面においても心を平静に保つことです。それでは私たちの心や精神の安定を乱すものというのはなんでしょうか?

それは、二極に対立する正反対の感情です。つまり成功や失敗、富と貧しさ、好き嫌い、病気と健康、苦痛と快楽。
こういった常に私たちに訪れてくる感情に心を乱し、精神のバランスを崩してしまうのは、対立する感情に心を支配され振り回されているからに他なりません。

有名な科学者や発明家はカルマ・ヨーガ行者の最高の実例である。研究を愛する科学者たちはどのこうな研究結果が得られようとも、幸せなのである。即ち、自分たちが期待した通りのことを発見すれば幸せであるし、期待していないことや自分たちの説や信じていることと正反対の事実を発見しても、幸せなのである。というのも、自分たちの目的は真実を知ることであり、そのことのためには自分が造り上げた説の誤りを証明することもいとわぬからである。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉がありますが、5年前や10年前に私たちの感情を支配し乱していたことに今でも心を支配されているでしょうか?

私たちは大丈夫

時間を経過させることで、起きた物事に対して冷静になることができることを私たちは経験として知っています。つまり自分に起きるどんな問題も時間をおけば問題ではなくなります。そうった経験から得た知恵を心に留め

「私は今、動揺しているな(あるいは有頂天になっている/悲しい/悔しいetc…)、でも大丈夫、すべて乗り越えてきたしこれからも私は大丈夫」と状況を客観視し、感情の真っ只中に入っていかないように心をコントロールします。

問題の内側に入り込み、二極に対立する一時的な感情に支配させてしまうのではなく、目の前で起きていることももたらされる結果を俯瞰し中庸でいる練習を続けることで、感情を超越することができるとカルマ・ヨーガは教えているのではないかと思います。

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