真実を見抜く眼を曇らせる「怒り」と「情欲」

冷静で平常な心をもつことは智慧を学ぶ上で非常に大切ですが、肉体をもってこの物質世界を生きていると、つい心がブレてしまうことがあります。今回は感覚器官を対象物へと駆り立て心を乱そうとするものとはなにかについて勉強していこうと思います。

真実を見抜く眼を曇らせる「怒り」と「情欲」

バガヴァッド・ギーター3章39節
O Arjuna, wisdom is enveloped by this constant enemy of the wise in the form of desire, which in unappeasable as fire.

アルジュナよ。求道者にとって永遠の敵であり、しかも決して満たされぬ情欲の火によって、智慧を求める者の智慧(ジナーナ)は覆われているのだ。

この詩節では、怒りや情欲が私たちが本来持っている智慧を覆い隠していること説明しています。この情欲の火とはもっと欲しい、さらに良いものを手に入れたいという「尽きない欲望」のことで、この炎は非常に激しく、求めていたものを手に入れた満足感もたちまちにして焼き尽くし、さらに多くを求めます。

手に入れば喜び、手に入れることができなければ怒り、そういった怒りや必要以上の歓喜によって心はどんどん乱れます。賢者やヨーギーは常にこうした心の動きに注意を配り、思いをコントロールします。なぜなら、この怒りや情欲に支配されてしまうことによって心の修行(あるいは人それぞれ持つ人生の目的)が妨げられるからです。

このパターンを理解せず、入ってくる情報や手に入れたモノや手に入らなかった状況に心を奪われていると、この情欲の炎はますます燃え上がり身を焼き尽くします。

それはあたかも、盗人が裏口から入って来るように、人が気を緩めている時に不意に襲ってくる。それは変装し好意を持った友人の振りをして現われ、少しふざけたり楽しんだりからかったりするので、未熟な者は歓迎してしまうのである。しかし、その火はたちまちのうちに醜い悪魔のような野獣となって、誘惑された者を貪り喰うのである。ー シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

情欲とは「むさぼる心」

この本で使われている「情欲」という言葉は仏教では「物に執着し、むさぼる心」であり世俗的な欲望を指しています。

「新しいモノを手に入れたい、所有したい」という思いや、感覚器官を楽しませる刺激的なことを求める心です。

上記で引用した言葉を、薬物やアルコールを例にとって考えると、自分と同じように心のコントロールや欲望に対するガードが甘い仲間と、最初は楽しくふざける程度に遊んでいたとしても、一度、情欲(むさぼる心)につけ入る隙を与えてしまうと、最終的に大きな代償を払うことになりかねません。

このような、心を急激にアップダウンさせる刺激の性質をもった物事はたちまち習慣となり、依存と中毒を引き起こします。こういった性質を見抜く注意深い賢者は、決してそのような野獣を近づけずつけ入る隙をみせません。そしてたとえそのような情欲が襲ってきたとしても智慧によって打ち砕きます。

バガヴァッド・ギーター3章40節
The senses, the mind and the intellect are said to be its seat; through these it deludes the embodied by veiling his wisdom.

諸々の感覚器官(インドリヤ)と意思(マナス)と理智(ブッディ)とがその(欲情など)居所であると言われている。これら(内的心理器官)によってこの(欲情など)ものは智慧を覆い、人を迷わせているのだ。

感覚器官とは、眼、耳、鼻、舌、皮膚の5つの知覚器官と、口、手、足、生殖器、肛門の5つの運動器官のことです。意思(マナス)は、この感覚器官の中心として働く内的心理器官です。

アートマー(真我)>ブッディ(知性)>マナス(意思)>インドリヤ(感覚器官)

理智(知性/ブッディ)はこの内的器官のひとつであり心の中の知的な働きを司り、意思はすべての器官のなかでいちばん機敏(活発)であり、混乱や優柔不断の住処です。

以前も書きましたが、バガヴァッド・ギーターやウパニシャッドなどの経典において、私たちの肉体を「人生の目的に向かって進む馬車」に、そして馬車と馬車を引く4頭の馬という5つの存在を私たちの五感と例えています。さらに、馬車が進む路にある木々や草花などの風景は五感が惹きつけられる対象物(つまり私たちの欲求を芽生えさせる物質、価値観に影響を与える情報などといった存在)、私たちの心は、この馬車を運転する御者として表現されています。

オンライン寺子屋ヨガ

「バガヴァッド・ギーター」では、私たちのこのような「感覚」との果てしないやりとりを「戦場」というメタファーによって表現し…

関連記事

怒りや欲情に支配されると?

情欲(物事への執着)や怒りは、知覚器官(インドリヤ)、意思(マナス)、理智(ブッディ)のなかにあり、私たちの心を忙しくさせます。愚かな(無知な)御者は、運転席に座りただ、感覚器官を楽しませることに夢中になり、馬車を(つまり自分自身を)正しい方向へと走らせることも、馬や馬車の安全を考えることもできません。

しかし賢者やヨーギーは注意深く馬を労わりながら、慎重に馬車を走らせます。

情欲や怒りは知覚器官と意思との働きを占拠し最大限に楽しむために、それらの器官を荒れ狂わせるのである。ー シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

さて、このマハーバーラタの戦いにおいて、神様を御者にもつのはアルジュナただ1人です。アルジュナが怒りや恐怖や情欲に心を圧倒されそうになったときには、必要な智慧と指示によって心を解放することができます。

一方、カウラヴァ一族は、怒りや情欲を御者の席に据えていることで、確実に破滅へと向かっていくのです。

最新情報をチェックしよう!