神話における神様とは/ クリシュナ神に学ぶカルマ・ヨーガ

神話における神様とは/ クリシュナ神に学ぶカルマ・ヨーガ

バガヴァッド・ギーターを最初に読んだのはヨーガの練習を始めて間もない頃で、物事の捉え方や価値観が今とは大きく異なっていたため、このストーリーで語られる深い叡智よりも、登場人物の相関関係など表面的なことに意識を向けていたように思います。

インドの聖典や神話は、日本神話やギリシャ神話同様、あたかも共存しているかのように神様が普通に人間の暮らしの中に登場します。そして神様は人間と同様、怒ったりおかしな行動をする一方、いくつもの別の姿や生まれ変わりがあり「神様」という存在の定義に混乱していました。

ヨーガの勉強を続けインドの世界観と哲学にも馴染んだことで、神様というのはただの呼び名に過ぎず、この言葉が指す意味というのは限りない宇宙エネルギーそのもので、神話などに登場する神様たちは、そういった宇宙意識の一部が人間の形をとって顕れている(アヴァタル)のであり、シヴァ神も天照大神もゼウスも全て同じ源(ブラフマー)から来ているのだと理解できました。

自然現象は神様の気分として描かれている?

宇宙意識であり自然そのものである神様たちが、神話などにおいてしばしば人間と同じように怒ったり悲しんだりといった表現されるのは、波のない静かな海と津波などの自然災害を起こす海、雲ひとつない穏やかな日もあれば、大雨を降らし嵐のように風が吹き荒れる日もあるといった自然の営みを、宇宙意識の一部である神様のキャラクターとして表現しているのではないかと思います。

そして、その神様と呼ばれる存在(エネルギー)と私たち人間も元は同じ場所から来た同じ存在であるということを神話の中で表現されているのではないかと思います。

「これは神話だから」とか「昔話だから」と思ってあまり親近感を感じなかったのですが、ヨーガの勉強やスピリチュアルなことについて学んでいくうちに、私たちが気づかないだけで、世の中には今も普通に「神様」と私たちが呼ぶような高次の存在はどこにでも偏在しているのだろうと思うようになりました。世界は物質化されたものよりも私たちの目に見えないこと、私たちの理解を超えることの方が遥かに多いのですから。

さて、今回は人間の姿として神話や聖典に登場してたクリシュナ神の、完璧なまでのカルマ・ヨーギーっぷりについて勉強していきたいと思います。

クリシュナ神に学ぶカルマ・ヨーガ

クリシュナ神は人間の肉体を持って生まれてきていますが、同時に全ての欲望から解放されている神様でもあります。クリシュナ神は生まれながらのヨーギーであり、彼の唯一の欲望は私たちにカルマ・ヨーガを教え、義務に対する誠実さの手本を見せ、調和のとれた世界を実現することです。

もしもクリシュナ神が大衆の前で自分はヨーガの神様であると言ったならば、人々はクリシュナ神に行為することを許さず、ただクリシュナ神の周りに座り込み礼拝するであろう。(中略) しかしクリシュナ神は自分自身の本質を隠し普通の人間の姿をして行為に従事している。ー シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

バガヴァッド・ギーター3章22節
There is nothing in the three worlds, O Arjuna, that should be done bu Me, nor is there anything unattained that should be attained; yet I engage Myself in action.

アルジュナよ。我にとって三界において為すべきことは何もない。得ねばならなぬものも未だ得ていないものもない。それでも我は行為し続けているのだ。

クリシュナ神は全宇宙に偏在する宇宙存在ブラフマーの一部であり、すべての物事を見通す神様ですが、クシャトリヤの戦士(アルジュナ)の御者の仕事をしています。

バガヴァッド・ギーターに描かれているクルクシェートラの戦いにおいて、アルジュナとドゥルヨーダナは「クリシュナ神が率いる巨大な軍隊」または「クリシュナ神本人(ただ1人)」かを選ぶことができました。アルジュナはクリシュナ神を、ドゥルヨーダナは軍隊を選びます。

つまりこの戦いでクリシュナ神は、ご自分の軍隊と戦うためにアルジュナの馬車を走らせています。アルジュナが「敵の中に師がいる、祖父がいる」と嘆き戦いを放棄しようとしていますが、クリシュナ神も同様に敵の中に自分自身の全ての部下がいますが、それについて悲観したり落胆はしていません。

クリシュナ神には果たすべき義務もなく、この世界において成し遂げる価値のあるものは何もないにも関わらず、クリシュナ神は休みことなく、どんなことにも執着することなく行為を続けています。そしてドゥルヨーダナも誰もクリシュナ神の本質を知りませんが、そのことに対してもなんのこだわりも見せていません。

バガヴァッド・ギーター3章23節
For, should I not ever engage Myself in action, unwearied, men would in every way follow My path, O Arjuna.

なぜならば、もしも我が怠けて行為しなければ人々はすべて我にならうからである。

バガヴァッド・ギーター3章24節
These worlds would perish if I did not perform action; I should be the author of confusion of castes and destruction of these beings.

もしも我が行為をしなければ全世界は滅亡するであろう。我は人々の間に混乱を引き起こし、人々の滅亡の原因となるであろう。

どんな結果にも執着しないクリシュナ神

クリシュナ神は行為に全身全霊を捧げていますが、成功や失敗といった結果については一切気にしていません。
クリシュナ神はパーンダヴァ軍とカウラヴァ軍のマハーバーラタの戦いを避けるために最善を尽くしましたが、問題は解決せずいよいよ全面戦争という最悪の事態になった際も落胆することなく、双方に味方をします。

つまりご自身はアルジュナの率いるパーンダヴァ軍に、ご自分の軍隊をドゥルヨーダナの率いるカウラヴァ軍に属させました。

クリシュナ神はこれまでにシシェパーラと戦い、何度か敗れたことがありますが落胆することも恥じることもしていません。クリシュナ神はどんなときも、成功や失敗という結果には全く関心がなく、行為を嫌ったり迷ったり避けたりすることなく常にカルマ・ヨーガをしっかりと行じているのです。

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