究極の調和(パラーム・シャンティ)と楽天的な生き方が導く幸福

究極の調和(パラーム・シャンティ)

前回は、無智であることから人は悪や愚行に走るけれど、智慧によって浄化することができる、ということを勉強しました。誰でも、今となっては後悔している選択のひとつやふたつはあるものです。もし過去の行いを悔やむ心に束縛されていたとしても、今(現在、この瞬間)智慧を得ることによって心を浄化し、自分自身を束縛から解放することができます。

バガヴァッド・ギーター4章39節
The man who is full of faith, who is devoted to it, and who has subdued the senses obtains (this) knowledge; and having obtained the knowledge he attains ot once to the supreme peace.

熱心に神に身を捧げ、しかも感覚器官の働きを制御する篤信(シュラッダー)の者は、この聖なる智慧を得る。その智慧を得た後は、速やかに究極の調和(パラーム・シャーンティ)に達するのだ。

バガヴァッド・ギーターやインドの聖典では度々「神」「神様」という表現が出てきます。

現代人、特に私たち日本人は宗教に対しポジティヴなイメージを持っているとは言い難いでしょう。

そういった場合「神様に身を捧げる」という文章は少しインパクトが強いかもしれませんが、聖典で教えられている「神様」というのはピラミッドのような誰か特別な存在をトップに置いた宗教組織に対し全てを捧げるという意味ではありません。

ピラミッド「△」ではなく、調和の「◯」

では「神様」をどのように捉えれば良いでしょうか。神様は言い換えると宇宙意識であり宇宙そのものを意味し、その存在をバガヴァッド・ギーターなどの聖典では「ブラフマー(ブラーフマン)」と表現しています。宇宙意識というのは私たちを含めた全ての存在にであり、私たち自身です。

真我(アートマー)はブラフマーの一部でありそのもの

真我(アートマー)とも表現されますが、真我を「ハイヤーセルフ」「魂」と表現する人もいます。表現の違いはあってもそれらはすべて同じ存在であり、真我(アートマー、ハイヤーセルフ、魂、スピリット)は宇宙意識であるブラフマーの一部でありブラフマーそのものです。

つまり「神様に身を捧げる」ということの一番大切ポイントは、自分自身が肉体の存在であるという無智によって作り上げた思い込みを取り除き、魂の存在であるということに気づくことではないかと思います。

そして自分だけではなく周りにいるすべての存在、さらには人間だけでなくすべての生物も魂の存在であり、その源はブラフマーであり、私たちは1人残らず全ての存在が繋がった一つの宇宙意識ブラフマーであるということです。

 

バガヴァッド・ギーター4章40節
The ignorant, the faithless, the doubting self goes to destruction; there is neither this world nor the other, nor happiness for the doubting.

神を信じようとせず疑心のみを持つ無智なる者は、破滅するのだ。こうした疑心の者にとっては、この世界も神の世界も存在しない。幸福(スカ)も存在しないのだ。

先ほども書きましたが神様とは空想で作られた白髪の老人などではなく、自分自身の魂であり宇宙意識です。この詩節では真我(自分の魂)を信じようとせず、疑いばかり持ち続ける人は無智であり続けるゆえに、いずれ破滅するということです。

自分を信じられない人が誰を信じることができるでしょうか?もし誰かを信じてついていったとしても、そのような依存心がベースにある信仰はいずれ猜疑心で満たされ、真の幸福へは辿り着けません。

仏教が教える「自灯明」

仏教の大切な教えに「自灯明」という言葉がありますが、これは自らを灯明(神仏にお供えする火)にし、他の誰でもなく自分自身を拠り所にするという意味です。

つまりお釈迦様がお亡くなりになった後(仏滅)の暗闇の中にあっても、自分の進む道へと進んでいくために修行を続け智慧を得、正しい真理は自分自身の中にちゃんとあることに気づいていくということではないかと思います。

私たちは誰かに頼ったり、誰かに道を示してもらおうとしがちですが、まず真我を信じ、自分自身を整え安定させていなければ、すぐに否定的な考えが出てきます。

ボランティアなど他者に対する無私の行為(行いの結果に執着をしないこと)はカルマ・ヨーガですが、自分自身が満たされていなかったり安定していなければ、必ず行為の結果(感謝されたい、喜んでもらいたい)によって心を乱されるでしょう。

他の存在に対する無償の行為によって私たちは幸せを得ることができますが、まず大切なのは自分自身の心を整えることです。カルマ・ヨーガは「自己犠牲の行い」ではありません。

否定的な考え方は身を破滅させ、悲観論は将来を駄目にさせ、楽観的な生き方こそが幸運を生むのである。疑惑を抱くのは、無智な心が感覚器官を満足させようとすることが原因である。そうした者は、賢者の進む真実の王道をたどらずに俗世のはかない享楽で時間を潰し、疑惑を抱く理由を検索しては不合理な理屈を考え出すのである。ーシュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

人生の目的は人それぞれです。解脱や悟りや高次元へのアセンションなど、魂を成長させることを望む人もいれば、ジェットコースターのような人生ドラマに一喜一憂することを望む人もいます。これはどちらが良いか悪いかではなく、好みの問題であり魂レベルの問題です。

このようにだれもが自由に好きな人生や生きる世界を選択できるところが素晴らしいと思います。私は個人的に究極の調和「パラーム・シャンティ」を経験し、楽天的な世界で生きることを願い日々を過ごしています。皆さんはどうですか?


毎日15分ずつ、あるいは1日1節ずつバガヴァッド・ギーターを勉強し、勉強した内容を毎日の生活で実践する「生活のヨーガ」はすごくおすすめです。


これは一つ一つの詩節がカードになっているので、オラクルカードのように自分の決断のインスピレーションにすることもできて実用的です。

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