行為のヨーガと智慧のヨーガ

さていよいよバガヴァッド・ギーターは第3章「無私の行為/カルマ・ヨーガ」へと入っていきます。

行為のヨーガと智慧のヨーガ

この章で、クリシュナ神はアルジュナに対し「この世界は自我意識をなくした行為によって発展することを目的として創造されている」ということ「神への供物として自分の身を捧げ、自分の義務を果たす」ことについて教えます。

「私の土地や家、私の考え、私の体」という自分を他の存在と分ける自我意識を取り払った行いをすること、自分自身も周囲のすべての存在がブラフマー神(宇宙意識)そのものであると理解することについて勉強していきます。

神の呼び方やイメージは無限で自由

この「神に自分を捧げる」という表現がピンとこない、あるいは違和感がある場合は「神」を「宇宙(宇宙意識)」「魂」と、置き換えてみるといいかもしれません。ハイヤーセルフやヴォルテックスなど呼び方はなんでもいいのです。

神というのはあくまでも大いなる宇宙意識の総称であって、ローブを纏った長い白髪と髭の老人のように擬人化された存在がいるわけではありません(多分)。個人的に「神」は私たち全ての存在の魂であり、普遍的に偏在するエネルギーだと理解しています。

バガヴァッド・ギーター3章1節
Arjuna said: If Thou think that knowledge is superior to action, O Krishna, why then, O kesava, dost Thou ask me to engage in this terrible action?

アルジュナが尋ねました。クリシュナ神様。もしも行為より理智が優れていると考えられるならば、なぜ御身は私を戦いという恐ろしい行為に駆り立てられるのですか?

バガヴァッド・ギーター3章2節
With this apparently perplexing speech, Thou confuses, certain by which I may attain bliss.

御身は錯綜した言葉で私の理智を惑わされているように私には思われるのです。それ故ただ確実に、私を至高なる善に導くことのみをお話し下さい。

2章のテーマ、サーンキャ・ヨーガについて理解できなかった人、あるいはクリシュナ神の言っていることに矛盾を感じた人もこの時点では多くいると思います。私もサーンキャで教えられていることとクリシュナ神の発言がうまく結びつかない部分がいくつかありました。

でも大丈夫です。私たちと同じようにアルジュナも2章でクリシュナ神に説明されたことをほとんど理解できず混乱しています。バガヴァッド・ギーター2章はサーンキャ・ヨーガの理論とカルマ・ヨーガの実践の両面を説明していますが、この後に続く十六の章も、このことについて更に詳しく説明しているにすぎません。もしこの時点でアルジュナがサーンキャ学派による智慧のヨガ、ニヤーナ(ジナーナ)・ヨーガと、行為のヨーガであるカルマ・ヨーガを完全に理解していれば、バガヴァッド・ギーターのこの後に続く部分も必要ではなくなります。

アルジュナが感じる矛盾

しかしまた、アルジュナの質問も当然である。なぜならば、サーンキャ・ヨーガは非常に抽象的な理論であり、智慧として把握することは非常に難しい。ー シュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

カルマ・ヨーガはサーンキャ・ヨーガの実践面ですが、これらの関係はあまり明確ではありません。サーンキャ・ヨーガは

「真我は不滅であり、すべての場所に偏在し、悟りに到達した人物は感覚器官の働きをコントロールし、欲望を手放し平安の境地にとどまる」

としています。

ではアルジュナも戦いを放棄し、静かに座っているべきではないでしょうか?どうしてクリシュナ神はアルジュナに戦えと繰り返し言うのでしょう?

バガヴァッド・ギーター2章32節から37節のあたりでクリシュナ神がアルジュナに対し

「戦いを放棄することで一族はアルジュナに失望し、永遠にその不名誉を語り継ぐだろう」
「そして愚かだと買い別し激しい悪口を浴びせかけるだろう」

というようなことを言いましたが、戦いを拒否することによって他者がどのように反応するかという結果を手放し、感覚器官の働きをコントロールするためにに静かに座り、周りに影響されないよう心の平静を保つことの何が悪いのだろう、という疑問を感じました。

戦うべきか否か

というのも、クリシュナ神は一方で平静さを説き、他方では戦えと説いています。クリシュナ神は「お前は死んだら天国におもむく」と伝えましたが、サーンキャ・ヨーガにおいては、真我は生まれることも死ぬこともなく、どんな武器を使っても破壊することはできないと教えていて、これらは矛盾しています。

こういったことからアルジュナはまだ混乱したままで、自分は俗世を捨て、サンニャーシンになり真我を知るための修練をするべきなのか、戦場に残って世俗的な役割を果たすべきなのかを決めかねています。そして

バガヴァッド・ギーター3章の始まりの詩節のなかで

「クリシュナ神、あなたの説教は聞きたくないし、その哲学は理解できない。私が戦うべきか否かについてもっと簡単明瞭に答えていただきたい」

と伝えています。続く3節から、その答えとしてニヤーナ(ジナーナ)・ヨーガ(智慧のヨーガ)とカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)の関係について、詳しく説明されていきます。

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