行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)と行為の放棄、どちらが優れている?

バガヴァッド・ギーター3章のはじまりにおいてアルジュナはクリシュナ神に「もし行為よりも智慧が優れているというのなら、なぜ私を戦いという恐ろしいこういうに駆り立てるのですか?」と聞きます。

なぜならアルジュナは混乱したままで、2章において語られたサーンキャ・ヨーガを完全には理解していなかったからです。

行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)と行為の放棄、どちらが優れている?

バガヴァッド・ギーター5章1節
Arjuna said: Renunciation of actions, O Krishna, Thou praises, and again Yoga. Tell me conclusively that which is the better of the two.

アルジュナが尋ねました。クリシュナ神様。御身は一方では行為の放棄を讃え、他方では行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)を誉め讃えられます。一体、両者のどちらがすぐれているのかはっきりと私に説明してください。

アルジュナはここにきて再び混乱し、3章の始まりと同じことをクリシュナ神に尋ねています。

3章においてのクリシュナ神は

「この世界にはサーンキャ学徒のために智慧のヨーガ(ジナーナ・ヨーガ)と無私の行為を行う行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)があるけれど、この2つの道は共に大切である」と答えています。

そしてクリシュナ神は智慧の道について「智慧は偉大な浄化具であり、すべての無智さを焼いて灰にしてくれる。それ故に智慧の道は最高にして最も効果的な修行法なのである」と誉め讃えたにも関わらず、アルジュナに対し武器を持って立ち上がり戦うこと(行為)を命じます。

アルジュナが混乱は当然といえば当然ですが、クリシュナ神はこのアルジュナの混乱に対しどのような説明をするのでしょうか?

バガヴァッド・ギーター5章2節
The Blessed Lord said: Renunciation and the Yoga of action both lead to the hightest bliss; but of the two, the Yoga of action is superior to the renunciation od action.

聖なるクリシュナ神が(アルジュナに)告げられました。この両者とも至福をもたらすのだ。しかし、行為のヨーガ(カルマ・ヨーガ)は行為の放棄よりも更に優れているのだ。

クリシュナ神は2つの道はそれぞれに長所をもち同じゴールへと進むための尊い手段ではあるけれど、カルマ・ヨーガがカルマの放棄よりも優れていることを明言しています。

それまでの人生の経験とその時の状況によって、人はそれぞれカルマ・ヨーガを好んだり行為の放棄のヨーガを好むとバガヴァッド・ギーターは教えます。つまり若く、体力と生命エネルギーに満ちた人は自然と「行為」に惹かれ、年老いた人はすべてのものを捨て隠遁生活を送る行為の放棄のヨーガを選ぶ方が容易です。

クシャトリヤとして、そして一族のリーダーとして戦場に立つ若きアルジュナにとっては、カルマ・ヨーガを選ぶことが自然であり、優れているからこそ、クリシュナ神はどちらの道も共に尊いとした上でアルジュナにカルマ・ヨーガをするようにアドバイスしているのです

適切なる判断力を持ってカルマ・ヨーガを行ずれば、行為について冷静に対処できるであろう。実はカルマ・ヨーガはその中に、行為の放棄のヨーガをも含んでいるのである。ーシュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

バガヴァッド・ギーター5章3節
He should be known as a perpetual Sannyasi who neither hate nor desires; for, free from the pairs of opposites, O mighty-armed Arjuna, he is easily set free from bondage.

憎しむこともなく期待することもない(カルマ・ヨーガ)行者は常に行為を放棄した者(ニトヤ・サニヤーシー)と理解されるべきである。常に二極の対立感情(ドヴァンドヴァ)を克服した者は、容易に束縛から解放されるのだ。

ここでクリシュナ神は、行為を放棄し智慧のヨーガに進むか、行為のヨーガに生きるかという選択よりも

“すべてを捨てた隠遁者(ニトヤ・サニヤーシー)の資質”得ることが大切だと教えています。

すべてを捨てる(放棄)とは、エゴや行為に対する結果や、感覚器官によってもたらされる二極に対立する感情を手放すことであり、そうした人のことをニトヤ・サニヤーシーといいます。

二極の対立感情を超越した者は、外見は楽しそうに見える世俗の束縛から容易に逃れることができるのである。行為の放棄の道と、行為の道とのいずれを進もうと問題はないのである。(中略) たとえその者が一般の人同様に行為を行なっていても、永遠にすべての行為を放棄した完全なる隠遁者とみなされるべきなのである。ーシュリー・スワミ・ヴィラジェシュワラ先生著「科学で解くバガヴァッド・ギーター」より

 

この二極に対立する感情、好き/嫌い 善/悪 勝ち/負けというのは二元性の考え方によって作り出されています。このことについては後のバガヴァッド・ギーター5章25節において詳しく説明していこうと思います。

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